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第12部 |
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(5)分社化構想が浮上 将来にらみあえて提案
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チッソが1999年に提示した分社化構想の資料
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右隅に「厳秘」と記された資料がある。タイトルは「当社の再生について」。その中に事業活動と公的債務を切り離す分社化構想が図解してあった。一九九九(平成十一)年六月に水俣病の原因企業チッソへの抜本支援策の政府案がまとまったのを受け、チッソがつくった再生計画の素案だ。
二千三百億円(九九年三月末)を超す公的債務を本社「現チッソ」に残し、分離した100%子会社の新会社「新チッソ」が事業活動を展開。本社は、(1)新会社から営業譲渡代金など一定収入を得て患者補償と公的債務の返済を継続(2)時機を見て新会社の株式を公開、売却し、その代金も公的債務返済に充て償還期間を二十年程度に短縮という内容だ。
政府から再生計画提出を求められていたチッソは、九九年十一月ごろ、水面下で環境庁(当時)にこの素案を示した。しかし、同庁は「チッソは本体として水俣病の債務を背負いながら経営再建するのが筋」として素案を受け取らなかった。
当時、同庁企画調整課長だった富田辰郎氏(55)は「政府案が既に固まった後で、そういう案を持ってきても『どうしようもないですよね』という印象だった」と振り返る。
富田氏の印象通り、この分社化構想は、そう議論されなかった。ただ、この一年前、抜本支援策を協議していた自民党水俣問題小委員会で、委員長の松岡利勝衆院議員(62)=熊本3区=がいきなり、チッソを国の管理下に置くという過激な私案を打ち上げ、かなり議論になったことがある。
その松岡私案は、(1)チッソの株式を国費約千百億円を投入して買い取る(2)チッソはその資金で公的債務を返済する一方、国は取得した株式を十年以内に売却し国費を回収する。党環境部会長だった鈴木恒夫衆院議員(66)=神奈川7区=が「何の相談もなく唐突に出てきてあ然とした」というほど衝撃的だった。
政府は当時、熊本県議会から県債発行方式の見直しを突き付けられていた。しかし、国が前面に出ないで済む県債発行方式に代わる枠組みを見いだせず、抜本支援策づくりは停滞。県議会の要請を無視できない松岡氏は業を煮やしていた。
ただ、松岡私案には、取得した株式が果たして損を出さずに売れるのかという問題があった。欠損が出た場合、国はチッソに負担を押し付けられ逃げられたという構図になる。環境庁の富田氏は「チッソを救済、発展させるという心象は当時、世論が許さなかった」と強調する。
しかし、環境庁幹部らは、松岡私案が出たおかげで、抜本支援策が出来上がったと口をそろえる。汚染者負担の原則(PPP)を逸脱し、国が一般会計から資金を投入するという本来驚くべき方針転換が、さらにその一歩先を行く松岡私案の衝撃にまぎれ、停滞していた抜本支援策づくりが前進したというわけだ。
この時期、チッソ幹部による政府や国会議員への陳情も活発化。富田氏には「従来の県債発行方式ではじり貧。破たんするか国営にしてもらうしかない」。一方、松岡私案に冷ややかだった自民党の鈴木氏には「経営ピンチを脱しかけている。あまり負担をかけない枠組みにしてほしい」などと訴えたという。
チッソによる分社化構想は、この地ならしができた後に登場する。自民党水俣問題小委は「今後の研究課題」と先送りしたが、否定はせず将来に余韻を残した。
富田氏はこう振り返る。「分社化構想は、松岡私案をちょっと変えたようなもの。チッソ自身も採用されないことは分かっていたと思う。私案の芽をつぶさないために、あえて提案したのかな」(亀井宏二)
熊本日日新聞2007年5月6日朝刊
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